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関東の諸都市・地域を歩く


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#48 日立市街地を歩く 〜山と海に抱かれた鉱工業都市〜

 2008年1月27日、茨城県北部の中心都市・日立へと初めてのフィールドワークに出かけました。風の穏やかな冬晴れのこの日は、日の光もたいへんあたたく感じられて、市街地散策をスタートさせた日立市役所の背後に迫る山並みもいっそうのびやかに感じられます。市役所のすぐ前を通過する国道6号沿いには中小の商店や事業所系のビルが立ち並んでいまして、ここが高い中心性を持つ市街地の只中であることを実感させます。

 市役所前から国道6号を南へ進み、程なくしますとJR日立駅前へと続くゆるやかな並木路の入口へと至ります。茨城県道293号(日立停車場線)となっているこの道路は、戦災復興事業の一環として1951(昭和26)年に建設された街路で、「平和通り」の名前がつけられています。多くの桜が植えられていることから「日本さくら名所100選」の1つに選ばれているという平和通りは、広い歩道が確保されていることもあってゆったりとした空間として整えられています。周辺は国道沿いほどの集積度ではないものの事業系の建物が集まっているほか、スーパーマーケットや戸建ての住宅なども通りに面していまして、総じて開放感のある町並みが形成されているようでした。けやき通りとの交差点にある歩道橋からは、桜の並木がなめらかなラインを結びながら山並みへと続く平和通りと、都市的な雰囲気の中でけやきの並木が大きく枝を広げる景観とが、美しいコントラストを呈していました。

平和通り

平和通りの景観
(日立市弁天町一/若葉町一、2008.1.27撮影)
JR日立駅

JR日立駅前・「タービン動翼」のモニュメント
(日立市幸町一丁目付近、2008.1.27撮影)
JR日立駅前

JR日立駅前の景観
(日立市幸町一丁目、2008.1.27撮影)
シビックホール

日立シビックホール
(日立市幸町一丁目、2008.1.27撮影)

 広々とした駅前広場が青空の下に快いJR日立駅は、そのゆったりとした空間の中心に位置するにはやや小ぢんまりとした印象の駅舎を擁していました(2010年までに橋上駅舎が新設されるようです)。ロータリーの中央には日立製作所から寄贈された「タービン動翼」(発電用蒸気タービンの一部)が設置され、明治期以降ものづくりのまちとして都市基盤を成長させてきたこのまちのシンボルモニュメントとなっています。駅周辺は現代的な都市公園として整備され、円状に柱を配した、古代神殿建築を思わせるようなイベントスペース(新日立広場)や、球状の構造(プラネタリウムであるそうです)を外観的な特徴として持つ重厚な文化ホール「日立シビックセンター」などが機能的に配置されています。その背後にホテルや大型スーパーを初めとした中層の建築物群があって、約20万人の人口を擁する都市の中心駅として遜色ない(あるいはそれ以上の)集積性を持つ市街地景観が展開されます。

 しかしながら、駅前の広場や公共スペースが広く確保されているうえに、市街地の向こうのゆるやかな山並みのやさしい姿もあって、現代都市にありがちな圧迫感は無く、実に洗練された印象さえ受けます。駅北側にある、日立セメントの工場があって煙突から蒸気を上げている光景も、このような美しく整えられた駅前景観やタービン動翼」のモニュメントの影響もありネガティブな印象をさほど与えていなくて、製造業で成長してきた都市の断片を見せる“借景”のような効果を発揮しているようにも感じられます。

日立製作所

日立製作所工場前の景観
(日立市幸町二丁目、2008.1.27撮影)
商店街

まいもーる商店街
(日立市弁天町一丁目、2008.1.27撮影)
市街地遠望

古房地鼻より日立市街地を遠望
(日立市大みか町四丁目、2008.1.27撮影)
常陸那珂港遠望

古房地鼻より常陸那珂港区方面を遠望
(日立市大みか町四丁目、2008.1.27撮影)

 穏やかな冬の快晴の空の下、快い広場を散策しながら駅前を南側に抜け、鉱工業都市として成長してきたこのまちの姿そのもののひとつである、日立製作所の大工場を一瞥しながら進んでいきます。シビックセンターのある一帯も、かつて(1980年代まで)は日本鉱業の資材置場や鉄道貨物用の専用線が広がる、産業エリアであったのだそうです。大型車両も通行できる広大な車道と、駅前からは確認できなかった、大工場や広い道路、現代的な駅前空間とのはざまにわずかに残された、古びた小さな戸建て住宅が立ち並ぶ光景は、高度経済成長期から現在までの日立の町の変遷をそのまま映しているような感じがして、たいへん印象に残りました。イトーヨーカドー南のパティオモールから、アーケード化された、まいもーる、ぎんざもーる(銀座通り)の商店街を辿り、国道に出て、市役所へと戻りました。

 日立市街地の訪問を終え、帰路、太平洋に突き出た古房地鼻にある日立灯台に寄り道しました。茫洋たる太平洋を望む風景は実に壮観です。北には手前の田楽鼻の絶壁を介し、烏帽子岩のある河原子あたりを挟んで日立市街地のすがたが遠望され、南には日立港の近景の彼方、常陸那珂港方面が霞がかりながらも望むことができました(2008年12月より、常陸那珂港、大洗港、日立港とともに「茨城港」となり、例えば常陸那珂港は「茨城港常陸那珂港区」といった形で呼ばれるようになったようです)。日立という地名は、1695(元禄8)年、徳川光圀が神峰神社に参拝した時、海上から朝日の昇る様子を「朝日の立ち上る様は領内随一」と称し、一帯を日立と命名したという由緒を持つようです。鉱工業都市として成長し、現代的な都市として成熟しながらも、その一方で、しなやかで、うるおいに溢れた雰囲気を失わないこのまちは、まさに「海と山のかがやきの賜物」であるといえるのかもしれません。

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