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関東の諸都市・地域を歩く


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#162 加須市騎西地区の風景 ~関東平野の只中の田園を辿る~
 
 2019年6月16日、埼玉県北東部の加須市の中心駅である、東武伊勢崎線の加須駅を訪れました。加須市はいわゆる平成の大合併を経て周辺の3町を合併し、埼玉県では北関東3県に唯一接する広い市域を持つようになりました。今回訪れようとしているのは、加須市の中心部から南に位置する騎西地区です。先述の合併により市の一部となった町の一つです。加須駅の南口周辺は中心市街地とは反対側であり、かつ中心市街地がある自然堤防上の微高地から比べると標高の低い低地帯にあたることから、駅周辺を除いて市街化はされておらず、水田の広がる風景が続いています。標高あ概ね北西から南東の方向に傾斜しているため、自然堤防の列はその方向に連なっていまして、水田として利用される低地もそれらの微高地に挟まれるように帯状に分布しています。このような地形はすべてかつては氾濫を繰り返して流路を変えてきた利根川の旧河道の痕跡です。そうした流路跡には用水路がいくつも開削されていまして、治水と新田開発に尽力してきた地域の歴史が底に刻まれています。

加須駅南口の風景

加須駅南口の風景
(加須市富士見町、2019.6.16撮影)
田園風景

騎西地区へ向かう田園風景
(加須市礼羽、2019.6.16撮影)
新川用水路

新川用水路
(加須市根小屋、2019.6.16撮影)
小麦が植えられた風景

小麦が植えられた風景
(加須市根小屋、2019.6.16撮影)
紫陽花の小径

紫陽花の小径
(加須市外川、2019.6.16撮影)
騎西城の土塁跡

騎西城の土塁跡
(加須市根小屋、2019.6.16撮影)

 梅雨入り後しばらく雨の日が続いた咲に訪れた抜けるような晴天の下、かつては大河の河床であった水田には水が引き入れられて一面に稲が植えられていました。水路には潤沢に水が流れて、田植えの季節をいっそうみずみずしい空気へと誘っています。加須駅南口からまっすぐ続く道路は水田地帯を一直線に貫いて、騎西地区の中心部へと伸びていました。騎西地区も新川用水路が流れる低地からは幾分比高のある自然堤防上に町場が発達しています。明治期の地勢図を確認しても、行田町(忍)や羽生方面へと続く道路と、鴻巣へと連なる道筋とが交わる交通の要衝に街村的な市街が形成されていることが見て取れます。元来は「私市(きさいち)」と呼ばれ、戦国期には城が築かれ、城下町も形成されていました。江戸時代に入り、一時藩が置かれるも、藩政期の大半は幕府領の在郷町として栄えてきたようです。騎西総合体育館の東から水田の中を続く道の両側には鮮やかな紫陽花が植えられていまして、梅雨晴れの日射しを受けてきらめいていました。

 その紫陽花の小径を進みますと、「騎西城」の模擬天守のある場所へと行き着きます。そのいかにも「城」としてのフォルムは、遠くからも視認できまして、騎西の町のランドマークともなっていますが、先述の騎西城の往時の姿とはまったく関係の無いもののようで、町のシンボルとして城のあった地域の縁のごとく建設されたものであるようでした。ただ、その建造物の道路を挟んだ東側には正真正銘のかつての騎西城の土塁の一部が保存されています。江戸初期まで存在した騎西城は、周囲を湿地帯で覆った天然の要害であったようで、曲輪や土塁をめぐらせた典型的な戦国期の城塞でした。藩政の拠点でなくなって以後は城跡は急激に改廃、転用されて、この土塁のみが、かつての城の存在を示すものとなっているようでした。

騎西城・模擬天守

騎西城・模擬天守
(加須市根小屋、2019.6.16撮影)
観音寺

観音寺
(加須市根小屋、2019.6.16撮影)


大英寺
(加須市騎西、2019.6.16撮影)
釜屋

釜屋の土蔵
(加須市騎西、2019.6.16撮影)
善応寺

善応寺
(加須市騎西、2019.6.16撮影)
西門跡付近の景観

西門跡付近の景観
(加須市騎西、2019.6.16撮影)

 往時の城を中心とした遺構はほぼ残されていないのに対し、六斎市も立った活気のある在郷町としての姿は、現在でも町の構造を見ると容易に跡付けることができます。地域内に複数掲出されていた藩政期の絵図には、城を中心とした武家地を、その南にある町人地とが描かれています。土塁の接する市道を南に進むとある観音寺や、大英寺(絵図では「大永寺」の表記)などの寺院は現在でも存在していまして、基本的な都市構造は藩政期から受け継がれていることが窺われます。現在でも中心市街地として機能する、大英寺門前から騎西三丁目、同一丁目へと続くメインストリートも往時と変わりありません。現在では市街地の南側を迂回するように国道122号がバイパスとして抜けているため、地域間を連絡する幹線道路としての役割はそちらに譲っていますが、バス路線ともなっている旧街道筋には、昔ながらの商店が点在していまして、西側には酒造元も奥ゆかしい佇まいをみせていたのが印象的でした。

 釜屋の土蔵造の結構を一瞥し、元町から上町へと辿りますと、善応寺の参道入口に設けられていた西門跡の標柱へと行き着きました。騎西一丁目交差点から南へは、先に指摘した鴻巣へと続く道路が現在でも分岐しています。町並みはここからさらに西へと延びていまして、その家並みの先には、延喜式にもその名が見えるとされる古社・玉敷神社の参道があります。豊かな社叢を擁する神社は、新緑の季節を経て、境内にはたくさんの紫陽花が色鮮やかに咲いていまして、梅雨の時節の風合いをしなやかに表現していました。埼玉県の「ふるさとの森」の指定を受ける社叢は、シラカシを中心とした暖地性の植物相が濃厚に残された、貴重な自然林を構成していまして、天蓋を多う美しい緑は、日射しを軽やかに受け止めて、この古い神社に新鮮な風を送り込んでいるようでした。藤棚が著名な玉敷公園を散策しながら、騎西の市街地を辿りつつ、最初に通過した紫陽花の小径が到達する騎西総合体育館近くへと進みました。体育館の周囲には沼地が存在していまして、かつて湿地に囲まれていたという城の往時を思わせました。

玉敷神社

玉敷神社
(加須市騎西、2019.6.16撮影)
玉敷神社・社殿と社叢

玉敷神社・社殿と社叢
(加須市騎西、2019.6.16撮影)
玉敷神社の大藤

玉敷神社の大藤
(加須市騎西、2019.6.16撮影)
騎西総合体育館付近の沼地

騎西総合体育館付近の沼地
(加須市正能、2019.6.16撮影)
田園風景の先に筑波山を望む

田園風景の先に筑波山を望む
(加須市上高柳付近、2019.6.16撮影)
水田と初夏の青空

水田と初夏の青空
(加須市内、2019.6.16撮影)

 騎西地域を一通りめぐった後は、再び加須駅前へと、広大な水田の広がる中を戻りました。抜けるような晴天にまぶしい雲がたなびく下、展開する水田はどこまでものびやかで、すがすがしい空気に溢れていました。水田の周辺の屋敷林を伴った集落や、彼方に俯瞰する筑波山や赤城山の姿、そして滲んだ地平の先に微かに望めた富士山の雄姿なども、鮮やかさに包まれる書架の田園風景にさらなる潤いを与えていました。


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