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関東の諸都市・地域を歩く


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#138 田沼から葛生へ ~紅葉の唐沢山と穏やかな町並みを歩く~

 2017年11月26日、2005(平成17)年2月に佐野市に合併した旧安蘇郡の田沼から葛生にかけての地域を歩きました。東武佐野線・田沼駅から東へ、中世の山城跡に神社が建立された唐沢山へ向かった後、田沼エリアの旧跡を訪ね、最後は葛生駅周辺をフォローする行程でした。

唐沢山神社参道の石碑

唐沢山神社参道の石碑
(佐野市栃本町、2017.11.26撮影)
田沼の町並みと唐沢山を望む

田沼の町並みと唐沢山を望む
(佐野市栃本町、2017.11.26撮影)
田沼の町並み

田沼の町並み
(佐野市田沼町、2017.11.26撮影)
一瓶塚稲荷神社

一瓶塚稲荷神社
(佐野市田沼町、2017.11.26撮影)
秋山川

秋山川
(佐野市栃本町、2017.11.26撮影)
唐沢山神社境内の紅葉

唐沢山神社境内の紅葉
(佐野市富士町、2017.11.26撮影)
唐沢山からの眺望

唐沢山からの眺望
(佐野市富士町、2017.11.26撮影)
唐沢山神社

唐沢山神社
(佐野市富士町、2017.11.26撮影)

 東武線田沼駅は簡素な寄棟のこぢんまりとした駅舎で、かつての旧田沼町の玄関口としては少々物足りない印象の駅でした。駅の西側に鎮座する一瓶塚稲荷神社周辺には古いながらも密度の高い町並みが形成されていまして、朱塗りの鳥居が立つ丁字路の南にも町場が広がっています。本殿の前にある銅製鳥居は1746(延享3)年に佐野荘の人々の協力により寄進されたもので、国の重要美術品認定を受けているもののようです。本殿は想定名社殿が印象的で、周囲よりわずかに高い境内からは、参道の木々が穏やかに眺められました。社名の由来は、各地域の人々が瓶に土を入れてこの地に運び塚を築き、その塚(一瓶塚)の上に社殿を造営したためと伝えられます。町並みを東西に貫く県道の踏切の脇には、唐澤山神社への参道であることを示す古い石碑が建てられていました。東側にしなやかなスカイラインを見せる唐沢山へと歩を進めます。

 田沼市街地の東側の家並みの先に見通す唐沢山は、顕著なピークを持つというよりは、横にたなびくような丘陵性の山並みが印象的な、優しい容貌を見せる山であるように感じられました。足尾山地へと続く丘陵の先端が関東平野の北側に接するこの山は、周囲への視認性や防衛上の優位性などからか、城柵の築城を見ることとなりました。そのはじまりは平安時代に藤原秀郷がによる城づくりとされ、その後室町・戦国期を経て重要な拠点として機能した後、江戸時代になって廃城となりました。唐沢山神社は秀郷の後裔や佐野氏の旧臣らが中心となって創建が始められ、1883(明治16)年に唐沢山城の本丸跡に、藤原秀郷を祀る神社として創始したものであることは前述のとおりです。山裾を洗うような秋山川を渡り、山道を登って到達した神社の境内には、壕跡や石垣、曲輪の跡、井戸などの山城で会ったことを示す遺物が残り、歴史を今に伝えていました。初冬のこの日は、冬晴れの下でカエデの紅葉が美しく、そうした歴史的な資産に彩りを添えていました。かつては物見櫓が置かれていたという天狗岩からは、関東平野北側一帯への美しい眺望が開けていました。

大炊の井

唐沢山神社境内・大炊の井(おおいのい)
(佐野市富士町、2017.11.26撮影)
根小屋神社

根小屋神社
(佐野市栃本町、2017.11.26撮影)
唐沢山と田園風景

唐沢山と田園風景
(佐野市栃本町、2017.11.26撮影)
藤原秀郷公墳墓

藤原秀郷公墳墓
(佐野市新吉水町、2017.11.26撮影)
葛生駅

東武佐野線・葛生駅
(佐野市葛生東一丁目、2017.11.26撮影)
葛生の町並み

葛生の町並み
(佐野市葛生西一丁目、2017.11.26撮影)
吉澤記念美術館前

吉澤記念美術館前の風景
(佐野市葛生東一丁目、2017.11.26撮影)
セメント工場と町並み

セメント工場と町並み
(佐野市葛生東一丁目、2017.11.26撮影)

 唐沢山神社で鮮やかな紅葉の風景を目にした後は山を下りて、吉水駅へと向かいながら藤原秀郷に関わる史跡群を訪ねるルートを取りました。秋山川の土手を進み、程なくして到達した根小屋神社は栃本地域の総鎮守で、唐沢山の山頂に城の守護として勧請した「避来矢(ひらいし)神社」が唐沢山城破却後に山麓に遷座されたものが起源となっているようです。のびやかな田園風景と住宅地とが隣り合う地域を進み、北関東道の高架下をくぐって吉水町内の興聖寺(こうしょうじ)へ。境内の周囲を堀割跡がめぐる構造からも、この場所もかつての城郭跡であることは容易に察せられました。さらに寺から南へ進んだ住宅地内には藤原秀郷公墳墓も存在していました。

 吉水駅に到達後は電車で終着駅の葛生まで移動し、葛生駅周辺を散策しました。セメントの町として知られる葛生ですが、足尾山地から源を発する秋山川が平地へと出る場所に発達した町場は在郷の中心地としての雰囲気を存分に持っていまして、拡幅された県道沿いには古い町家やモダンな造りの建物も多く見受けられました。葛生ポケットパークから図書館や美術館のある一角を通り、小曽戸川に沿った道筋を葛生駅へと戻る中で、随所にセメント工場の建物が目に入って、葛生の町の特質を改めて実感しました。


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