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白百合の誘(いざな)い
〜2006 伊勢・熊野訪問記〜

2006年8月末、伊勢・熊野を訪れました。夏の大地や海は太陽の神々しさそのままの輝きをみなぎらせているように感じられました。行く先々に咲く白百合に誘われながらの行程だったように思います。

             

鳥羽から新宮へ

 伊勢市街地散策の翌日(20日)は、宇治山田駅前でレンタカーを借りての大移動初日です。この日の宿泊先は和歌山県新宮で、鳥羽から志摩方面を経由しながらのドライヴを予定していました。鳥羽方面へ向かう前に訪問しておきたかった場所があったため、伊勢市街地を抜け、市街地外縁を貫く大幹線道路である国道23号を経由し、鳥羽とは逆の方向である明和町方面へまずは向かいました。目的地は1970(昭和45)年、住宅地開発の際に発見された斎宮(さいくう)跡です。斎宮とは天皇に変わり伊勢神宮の天照大神に仕えるための場であり、その祭祀を司る斎王(さいおう)は天皇が即位するたびに未婚の内親王から選ばれたといいます。暦の上では初秋となり、伊勢の広大な平野の水田では稲穂が徐々に頭を垂れはじめていまして、豊穣の大地の広がりがたいへん快く感じられます。

 斎宮は現地で入手したパンフレットの記述によりますと古代から中世にわたるおよそ660年間存続し、国の史跡として指定されているのは、斎宮遺構を含む東西約2km、南北0.7kmの範囲にわたるとのことです。周辺は集落と水田とがモザイク状に分布する土地利用となっています。歴史に触れられる散策ゾーンとして整えられているエリアには、斎宮歴史博物館や斎王の森などの史蹟が点在しています。近鉄斎宮駅北側の一帯には史蹟全体を10分の1の大きさで再現した模型が設置された歴史ロマン広場もあります。駅名ともなっているとおり、「斎宮」は施設としての斎宮が機能を失って以降もこの地域の地名として今日まで存続してきました。鉄路の南には旧参宮街道を承継するルートが東西に走っていまして、切妻や妻入の昔ながらの家並みが続いています。白木の玉垣をめぐらせ厳かな表情を見せる竹神社の佇まいとともに、伊勢神宮へとつながる系譜を濃厚に感じさせるのびやかな地域性を感じさせます。

歴史ロマン広場

斎宮・歴史ロマン広場
(三重県明和町斎宮、2006.8.20撮影)
水田

斎宮跡付近の水田
(三重県明和町斎宮、2006.8.20撮影)
参宮街道

斎宮・旧参宮街道
(三重県明和町斎宮、2006.8.20撮影)
竹神社

竹神社
(三重県明和町斎宮、2006.8.20撮影)

 二見浦もまた、伊勢との関連が深いエリアですね。夫婦岩で知られる二見浦は、その風光もさることながら、伊勢参拝後の宿泊地としての色彩も持つ場所でありました。現在では水族館や海水浴場もあることから気軽なレジャーの場として親しまれています。こんな現代的な憩いの場所に、ひっそりと鎮座する小社があります。二見浦海水浴場から続く松並木のなか、木製の小ぢんまりとした鳥居を伴ったこの社は、御塩殿と呼ばれています。伊勢神宮の御饌として備えられる塩を製造するためのお社です。社殿の周囲は、海岸の松に加え広葉照葉樹の木々もそれに混交していまして、伊勢神宮において体感したものと同様にしずかな空気の支配する空間となっていました。ただ繰り返されるさざなみの音が小社を穏やかに包むのみでした。続いて訪れた夫婦岩のある一帯が観光客も多くて、活気に溢れていたのとは対照的です。二見浦は神々のおわす常世の国からの波が最初に届く浜であるとの伝承から、伊勢神宮外宮・内宮を参拝する前に禊を行う−浜参宮と呼びます−場所として古くより信仰を集めてきた地でもあります。

 鳥羽の市街地を通過しながら、2006年7月に一部残されていた有料区間が無料となり全線がフリーとなったパールロードへと自動車を進めていきます。夏の余韻を十分すぎるほど残した空は輝きに溢れて、水平線は空の青と海の青とをそのあわいにおいて霞のなかに溶け込ませていました。志摩半島のこぼれるような光の中できらめく緑と空、そして海は、パールロードのルート上で最高所に位置する鳥羽展望台において一大パノラマを見せます。展望台からは、遠く大王崎や海の彼方の富士山まで見通せるといいます。この日は晴天ながらも、あいにくぼやけた水平線のために遠方の視界は利きませんでした。その代わり、リアス式海岸の複雑な海岸線の美しさは、的矢湾大橋の前後や英虞湾を見下ろす横山展望台において十分に観ることができました。横山展望台からの眺めはまさに絶景で、緑穏やかな台地のなかを水路のような幾筋もの細長い入り江が毛細血管のごとく入り込む景観のむこう、湖と外海とを隔てる砂州か堤防のような先島半島が、夏の日差しの下まばゆく白むヴェールの中にふうわりと横たわっていました。

御塩殿

御塩殿
(伊勢市二見町荘、2006.8.20撮影)
夫婦岩

夫婦岩
(伊勢市二見町江、2006.8.20撮影)
鳥羽展望台

鳥羽展望台からの風景
(鳥羽市国崎町、2006.8.20撮影)
横山展望台

横山展望台から見た英虞湾
(志摩市阿児町鵜方、2006.8.20撮影)

 鵜方付近の市街地を抜けながら、志摩半島南岸を軽やかにレンタカーを走らせます。道は港の発達した波穏やかな湾内付近を通過したり、山の中に分け入って峠を越えたり、時折小刻みにカーブを交えたりしながら続いていきます。路傍には崖の途中に、草むらに、ガードレールの下にと白い花弁がやわらかに風を受ける白百合が可憐な表情を見せ始めます。紀伊長島で国道42号に入り道路の規格が格段によくなっても、海に出会い、山に入る繰り返しは原則としてそのまま継続しました。現在のように陸上交通が完全に主流となるまではそれぞれの湾内ごとに発達した村々を行き来するのに舟運がもっぱら用いられたというのも頷けます。そんな集落の中でも尾鷲の市街地は集積性が高く、地域にあって密度の高い町場を形成しているのが市街地外縁を通過する国道より確認できました。

 尾鷲の町を過ぎて、矢の川峠付近の尾根筋をトンネルで越えて熊野市域へ入り、奇勝・鬼ヶ城付近を通過しますと、これまでの海食崖が多く発達してきた海岸線は一変し、なだらかな汀線をしならせる砂浜海岸へと変貌します。道路も防砂林に接しながら平地をまっすぐに進むようになります。紀伊半島というと大半がリアス式海岸というイメージを持っておりますから、地図上では目にしたことはあっても、ここまでの規模の砂浜海岸に実際に接しますとさすがに驚かされます。「七里御浜」と呼ばれるこの砂浜は、約25kmにわたって、和歌山県境の熊野川河口まで続いていきます。リアス式海岸が卓越する中にあってこれほどまでの砂浜海岸が形成されたのは、大河・熊野川から運ばれた土砂が沿岸流によって豊富にこのエリアに供給されてきたためでしょう。三重県南部は旧国の区分で言いますと伊勢や志摩といった三重県北部とは異なり、和歌山県がその大半を占める紀伊の国の範囲でした。現在、三重県南部の地域を指して「東紀州」と呼ぶのもそのためです。伊勢神宮を中心とした文化圏に彩られた地域は、三重県内ながら次第に熊野信仰の舞台へと遷移していきます。こういった文化的なつながりの背景には、大河川・熊野川の営力による地形に裏打ちされた自然地理的な共通性もあるいはあるのではないかとの妄想もはたらきます。やがて道路は熊野川河口で西へ折れて、壮年期の山々を貫いて雄大に流れる大河をまたいでいきます。

鵜方市街地

横山展望台から鵜方市街地を望む
(志摩市阿児町鵜方、2006.8.20撮影)
那智大滝

那智大滝
(和歌山県那智勝浦町那智山、2006.8.20撮影)
熊野那智大社

熊野那智大社から那智大滝を望む
(和歌山県那智勝浦町那智山、2006.8.20撮影)
熊野那智大社

熊野那智大社
(和歌山県那智勝浦町那智山、2006.8.20撮影)


 新宮市街地を一旦通り抜けて、熊野那智大社へと向かいます。翌日は新宮から熊野川を上って中辺路を踏破する予定にしていたこともあって、この日までに何とか、熊野那智大社への参拝を済ませておきたかったためです。夏の日は長いとはいえ、熊野那智大社手前で間近に眺められる那智の滝に辿り着いたときには既に時刻は午後4時30分になろうとしていました。次第に空は明るさを失って、木々に覆われた山間にはゆっくりと夕闇が迫ろうとしていました。大きな鳥居をくぐり、石段を降りていきますと、修験の山、那智山の深閑な杉木立のすぐ向こうに、巨大な水の柱たる那智の滝が豪快に飛沫をほとばしらせていました。

 通常那智の大滝と呼んでいる滝はいわゆる「一ノ滝」です。那智山中には実に48もの滝がかかっていまして、それらを総称して「那智の滝」としているのだそうです。細かい水滴が頬を濡らす滝の前には、那智の大滝を説明する看板が立てられており、名勝かつ世界遺産である那智の滝そのものが、熊野那智大社別宮・飛瀧(ひろう)神社のご神体であることを伝えています。そのため、飛瀧神社は社殿はありません。滝を目の前に拝所が設けられているのみです。ただ、拝観時間を過ぎていたため、滝壺を間近にした拝所まで向かうことはかないませんでした。目前で圧倒的なスケール感をもって流れ下る滝の姿にしばし目を奪われていました。江戸から見ても、上方から見ても、伊勢よりもさらに地の果て、累々たる山々や谷間を越えてようやくたどり着ける熊野の大地。そうした途方もない道程を越えて目にした巨大な、本当に巨大な滝の猛々しいさまを前にして、抑えきれないほどの感動と抑揚、そして我々を生かしたらしめている自然への畏敬の念が沸き起こらないはずはないでしょう。熊野信仰のよりどころが自然そのものであり、熊野の山河とそのさらに彼方にかがやき広がる果てしない海原のどれしもが、人々をして神と信じたらしめる、すべてを超越した存在であったと感じて余りある、途方もない力。那智の大滝はその営みそのものであると実感せずにはいられませんでした。

浮島の森

浮島の森
(新宮市浮島、2006.8.20撮影)
新宮市街地

新宮市街地、ペアシティ前
(新宮市浮島/春日、2006.8.20撮影)
新宮市街地

新宮市街地遠景(丹鶴城跡より)
(新宮市新宮、2006.8.21撮影)
熊野川

丹鶴城跡から眺めた熊野川(熊野川大橋を望む)
(新宮市新宮、2006.8.21撮影)

 那智の滝を遠くに見ながら山肌に社殿と参道とが続く那智熊野大社を参拝し、夏の夕暮れはたおやかに時を刻んでいきました。夏の残照が残る中、新宮駅前や中心市街地、浮島の森、熊野速玉神社など可能な限りまちを巡って、新宮市街地のアウトラインを掴み、この日の活動を終えました。伊勢から熊野へ。古来から脈々と紡がれてきた信仰の系譜のほんの一隅をさまよっていたようなものなのかもしれないと心でつぶやきながらも、地域の安寧を願いたい、その気持ちを胸に携えながら、明くる日の中辺路踏破に向けての準備をすすめました。

中辺路を行く」へ続きます。


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