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北海道道南をめぐる
〜藩政期と近代化の痕跡を訪ねる〜

 018年7月14日から15日にかけて、北海道道南の諸都市を巡りました。余市から室蘭、江差、松前とめぐり、古くから和人の影響を受けながら、地域を変化させてきた地域の姿を見つめました。

白鳥大橋の夜景

白鳥大橋の夜景
(室蘭港内、2018.7.14撮影)
松前城

松前城
(松前町松城、2018.7.15撮影)

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ページ公開:2020年4月16日

余市から室蘭へ 〜冷涼な大地、ものづくりの町を訪ねる〜

 久しぶりの北海道訪問は、羽田から新千歳へのフライトの利用でした。離陸して、富士山の山影を一瞥したと思ったその後、あまり長い時間をかけずに北海道へ着陸したことに新鮮な驚きを覚えました。調べますと、平均フライト時間は1時間30分であるようで、初めての空路ではなかったのですが、改めて北海道の意外なほどの身近さを再認識しました。空港からはレンタカーを調達して、まずはまだ行ったことのなかった支笏湖へ向かいました。土砂災害の影響で湖畔を一周する道路が寸断されるなどハプニングはありましたが、何とか湖の風景を眺望した後は、道央道から札樽道へ針路を採りました。札幌大都市圏の外縁をゆく高速道路からは、札幌のスカイラインを十分に概観することができました。

機内から望む富士山

機内から望む富士山
(2018.7.14撮影)
支笏湖

支笏湖
(千歳市支笏湖温泉、2018.7.14撮影)
下ヨイチ運上家

下ヨイチ運上家
(余市町入舟町、2018.7.14撮影)
下ヨイチ運上家

下ヨイチ運上家内部
(余市町入舟町、2018.7.14撮影))
ニッカウヰスキー正門

ニッカウヰスキー正門
(余市町黒川町七丁目、2018.7.14撮影)
ニッカウヰスキー

ニッカウヰスキー蒸留所内部の風景
(余市町黒川町七丁目、2018.7.14撮影)

 今回の北海道の彷徨は、つぶさに訪ねたことのない、道南エリアの諸地域をなるべく巡ることを目的としていました。札幌、小樽を経て、最初の訪問は余市です。余市川が流れ込む穏やかな入江状の海岸部一帯に、比較的規模の大きい市街地が形成されています。後志総合振興局管内の町村では最大の人口規模を持ちます。商店街が形成されているJR余市駅から程近い場所に、ニッカウヰスキーの余市蒸留所があり、隣接して道の駅が立地しています。夏休み中とあって多くの観光客が訪れていたこともあって道路や駐車場は混雑していましたがなんとか道の駅に車を止めることができ、まずは余市川を渡った先、モイレ山の裾の海辺をなぞるように進んだ先にある、旧下ヨイチ運上家(国重文)を訪ねました。藩政期に、松前藩がアイヌと行っていた交易を請け負った商人が拠点としていた建物が運上家と呼ばれました。当時蝦夷地と呼ばれた北海道には複数の運上家が設けられましたが、この下ヨイチの運上家が唯一現存しているものです。切妻平入の、横に長い形の家屋は、屋根の上に石が置かれているのが特徴で、一見質素ながらも内部は広くなっており、実用に特化した建物として見応えがあります。

 余市はこのように近世以降交易の拠点として町場が開かれ市街化が進む一方で、その冷涼な気候を生かした農業やそこから派生した産業も根付きました。明治初期から試行された果樹栽培は一大産地へと昇華し、リンゴやブドウ、梨などの特産地となりました。そして、ニッカウヰスキーの蒸留所もその設立は果汁生産から始まっていたことはよく知られています。西洋風の城壁のような門より敷地へ入りますと、蒸留棟や発酵棟など、ウイスキーの生産に必要な施設が立ち並んで、ウイスキーの本場スコットランドの風土に似たこの地において、ウイスキーの製造に心血を注いだ往時を彷彿とさせました。旧事務所の建物は、創始者竹鶴政孝が1934(昭和9)年に建設したもので、企業の所有道内初の指定文化財(余市町)となっています。

羊蹄山自然公園

羊蹄山自然公園から望む羊蹄山
(真狩村社、2018.7.14撮影)
羊蹄山麓

羊蹄山麓の畑作風景
(真狩村内、2018.7.14撮影)
夏の青空

夏の青空が望む
(真狩村付近、2018.7.14撮影)
洞爺湖の中島を望む

洞爺湖の中島(左)、有珠山(右)を望む
(洞爺湖町内、2018.7.14撮影)
洞爺湖

洞爺湖
(洞爺湖町内、2018.7.14撮影)
白鳥大橋

白鳥大橋
(室蘭港内、2018.7.14撮影)

 余市の産業史を感じさせる施設群を見学した後は、国道5号を南下し、倶知安から羊蹄山の南麓に広がる茫漠たる畑作地域をフロントグラス越しに眺望しながら、北海道の雄大な大地をドライブしました。小麦畑であったり、じゃがいもであったり、ビーツであったり、多種多様な作物が集約的かつ大規模に作付けされる風景は、十勝平野や美瑛辺りでも目にしてきた光景です。この日は朝から曇りベースで、時折青空が部分的に覗く天候で、羊蹄山もその山頂部を見通すことはできませんでした。やがて、畑の向こう、地平線の彼方に、小規模な突起のある山並みが見えるようになりました。近づくにつれて、それが洞爺湖の中島のそれと確認できました。カルデラ湖である洞爺湖は、南岸の有珠山や、第二次世界大戦中に突如として現れた昭和新山など、火山活動が活発なことでも知られます。この日は室蘭への到着を優先していましたので、湖岸で小休止のみでとどめ、噴火湾岸から室蘭を目指しました。

 室蘭は、太平洋に突き出した絵鞆半島の山塊と、その付け根の砂州とに市街地が広がります。いわゆる陸繋島とそのトンボロ(陸系砂州)が町の基盤となっています。室蘭は、鉄の町として知られます。外洋から守られる湾を構成する室蘭は古くから交易の場として町場が開け、近世以降は夕張山地から産出する石炭の積み出し港として港湾が解説されます。岩見沢から苫小牧を経て、室蘭へのルートが一括して「室蘭線」と呼ばれるのもこうした経緯があったためでしょう。1907(明治40)年には噴火湾岸で採掘された砂鉄と、豊富に供給される石炭を利用した製鉄が企図されて日本製鋼所(株)が設立、、次いで1909(明治42) 年に、後に日本製鉄(日鉄)に吸収される北海道炭鉱汽船輪西製鉄所が開所、以降、室蘭は製鉄の町としての歩みを始めます。戦後になり合理化もなされましたが、室蘭港に面する一帯には重厚な製鉄関連の工場が立ち並んでいまして、有数の製造業の町である室蘭の矜持を示していました。1998(平成10)年に、室蘭港を跨ぐように架けられた白鳥大橋を渡って、市の中心部へと進みます。この日は夕刻に近づくにつれて、7月の北海道太平洋岸らしく、海霧が徐々に濃くなる肌寒い陽気になっていきました。その夜、室蘭港内を周遊する、工場夜景クルーズに参加しましたが、その霧にうずくまるようにしてきらめく工場群のライトが幻想的で、1世紀の長きにわたり、火をともし続けてきた室蘭の製鉄の歴史をやさしく、そして力強く見る者に訴えかけていました。

白鳥大橋・ライトアップ

白鳥大橋・ライトアップ
(室蘭港内、2018.7.14撮影)
製鉄工場の夜景

製鉄工場の夜景
(室蘭港内、2018.7.14撮影)
製鉄工場の夜景

室蘭港・製鉄工場の夜景
(室蘭港内、2018.7.14撮影)
地球岬

地球岬
(室蘭市母恋南町五丁目、2018.7.15撮影)
白鳥湾展望台

白鳥湾展望台からの眺望
(室蘭市崎守町、2018.7.14撮影)
白鳥湾展望台

白鳥大橋と製鉄所施設群を望む
(室蘭市崎守町、2018.7.14撮影)

 翌朝の室蘭も、濃霧の中に沈んでいました。太平洋の大海原を眺望するチキウ岬(地球岬)からの風景も、ほぼ乳白色一色になっていました。かつて、アイヌとの交易が行われた元祖・室蘭のあった場所である崎守地区にある展望所から俯瞰した白鳥大橋とその周囲の製造業の立地する風景は、北の大地にあって、新たなフロンティアで殖産興業にいそしんだ、近代日本のあけぼののよすがを感じさせました。



後半へ続きます。


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