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点描千葉市とその周辺


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#12 市川市を歩く 〜ベッドタウンに輝く古の風光〜

 市川市は人口約47万人、東京都に接しベッドタウンとして高度経済成長期以降急速に成長したまちです。JR総武快速線では市川駅から東京駅まで22分、本八幡駅には都営地下鉄新宿線が接続しており、都心へのアクセスは大変良好です。総武線沿線は鉄道駅周辺を中心に近年再開発がおこなわれて高層ビルが林立する風景が認められるようになりました。江戸川放水路を挟んだ南部の行徳地区は西船橋駅へ連接する東京メトロ東西線や京葉線沿線であり地域性はやや異なります。総武線以北の洪積台地上は、基本的に住宅地となっている一方で、台地と低地を分ける斜面などを中心に林も残されていて、豊かな風光に触れることのできる近隣を形成しています。近代以降はその風情に惹かれて多くの文人が居住したこともあって、文学に関連した地域おこしも行われています。今回は、住宅都市として一様に発展した市域の中に残る風雅を探しながら、市川駅、本八幡、中山と歩き、国府台からをめぐりながら市川駅へ戻るフィールドワークを行いました。

市川駅

JR市川駅前(北口)
(市川市市川一丁目付近、2009.11.7撮影)
松の木立

千葉街道沿い、松の木立が見える風景
(市川市平田二丁目、2009.11.7撮影)
本八幡駅前

JR本八幡駅前(現在は奥にもう一棟高層ビルあり)
(市川市八幡二丁目、2009.11.7撮影)
葛飾八幡宮

葛飾八幡宮
(市川市八幡四丁目、2009.11.7撮影)

 2009年11月7日、快晴のJR市川駅を出発しました。南口では超高層ビル2棟を中心とした「I-linkタウンいちかわ」の再開発が進められており、中層のビルが中心の商業地の景観に新たなランドマークが加わりました。国道14号(千葉街道)に沿って本八幡方面へ進みます。ビルやマンション、個人商店などが立ち並ぶ街並みの所々に松の木立が見えて、ここがかつて海岸に沿った場所であったことを想起させます。古くは真間の入江と呼ばれる入江が大地に深く切れ込んでいて、海岸の砂州には美しい松並木が続いていたといわれる歌枕の地でもありました。

 前述のとおり都心に直結する都営新宿線のターミナルでもある本八幡駅周辺は、北に位置する京成八幡駅との間で再開発が進められており、2013年に40階建てのタワーマンション「グランドターミナルタワー本八幡」を中心に、京成電鉄本社が移転した業務棟が順次建設され、商業施設の入る商業棟も整備が進められているようです。本八幡駅前の交差点を過ぎてさらに国道を進むと、地名の由来ともなっている葛飾八幡宮への参道入口に至ります。国道近くの一の鳥居をくぐり、京成線の踏切を越えると、二の鳥居を経て銀杏並木がさわやかな境内へと誘われます。平安期(寛平年間)に宇多天皇の勅願により下総国総鎮守として鎮座した歴史を持つ境内は穏やかに森の包まれていまして、11月のこの日は多くの七五三参りの人々で賑わっていました。市川市役所と国道を挟んで南西には、不知八幡森(しらずやわたもり、別名「八幡の藪知らず」)と呼ばれる小さな森があり、古くからの禁足地として知られているようです。周囲が市街化された中のわずかな一角だけこのようなミステリアスな場所が残されているというのも、どこか不思議で、この種の伝承の息の長さを感じさせました。

葛飾八幡宮

葛飾八幡宮・二の鳥居越しに町並みを望む
(市川市八幡四丁目、2009.11.7撮影)
法華経寺五重塔

法華経寺・五重塔
(市川市中山二丁目、2009.11.7撮影)
法華経寺参道の街並み

法華経寺参道の街並み
(市川市中山四丁目付近、2009.11.7撮影)
真間川

真間川
(市川市真間二丁目付近、2009.11.7撮影)

 境橋で真間川を渡り、JR下総中山駅付近でいったん船橋市域に入った後、駅前の現代的な商業施設や昔ながらの個人商店が穏やかに混在する商店街を抜けて再び市川市内に入り、、日蓮宗大本山の法華経寺へ。JR駅から京成中山駅前を経て門前へ続く商店街は門前町としての雰囲気も濃厚に感じさせました。仁王門をくぐり塔頭寺院の並ぶ参道を進み、国指定重要文化財である五重塔や祖師堂などが並ぶ境内を散策し、中世以降守護や幕府などの保護を受け多くの信仰を集めてきた歴史を感じました。次第に夕刻の迫る広大な寺域は訪れる人も少なくて、ここが首都圏近郊の衛星都市の一角であることを忘れさせるような静寂に包まれていました。

 京成中山駅から市川真間駅へと移動し、「文学の道」として整備された桜土手公園を経て、真間川沿いへと歩を進めました。現在は江戸川から東京湾へと注ぐ真間川は、東京湾へつながる放水路ができる前は江戸川に注いでおり、今とは流れる向きが逆になっていました。先にご紹介した「真間の入江」は江戸川から北東に流域を持つ真間川に沿って形成されていたと言われています。市川の砂州と真間の入江が織り成す美しい風景は遠く都にも聞こえ、自らをめぐる男達の争いを厭い入水したとされる手児奈(てこな)伝説とともに多くの文人の詩情を誘いました。真間の継橋手児奈霊堂、弘法寺などをめぐりながら、下総国府がおかれた国府台(こうのだい)へと進みました。国府祉から中世には城柵が築かれ、近代における軍用地としての利用経て文教施設や病院が集積する地域となった国府台は、江戸川(古来は太日川と呼ばれ、現在の渡良瀬川の下流部分でした)や真間の入江、遠く富士山などの山々を望む高台で、その風光から多くの文人の憧憬を集めました。真間の継橋や国府台(鴻の台)は万葉集に歌が詠まれたり、浮世絵師歌川広重の『名所江戸百景』の題材にもなっており、明治期以降も北原白秋や永井荷風、幸田露伴などの文人墨客がこの地に拠りました。沿岸の開発によって海が遠くなり、ベッドタウンとして平地の多くが住宅によって充填された現代においても、豊かな斜面林や松の木立、多く残る寺院や神社などが地域ののびやかな風光を静かに語っているように思えます。

桜土手公園

桜土手公園
(市川市菅野六丁目付近、2009.11.7撮影)
真間の継橋

真間の継橋
(市川市真間四丁目、2009.11.7撮影)
俯瞰

弘法寺付近からの俯瞰(右奥のビル群は本八幡駅周辺)
(市川市真間四丁目付近、2009.11.7撮影)
江戸川

江戸川から市川駅周辺(左)を望む
(市川市国府台一丁目付近、2009.11.7撮影)

 江戸川に臨む里見公園から江戸川端に降りて、川面の向こうに鮮やかに沈まんとする夕日の美しさに心躍らせながら京成国府台駅へと至り、この日の行動を終えました。江戸川は穏やかに夕日の光を返して、両岸の街並みをやさしく照らしていました。市川駅周辺の高層ビルが一際目立つ風景は現代の都市化の様相を端的に表現しながら、周辺が穏やかな住宅街であることを逆に強調しているようにも思えました。東京の衛星都市となった市川の諸地域はまた、古来からの“都”である上方が羨望した風雅をも地域に濃厚に投影して、我が国の歴史の多様性やかけがえのなさをも雄弁に物語っているように思えてなりませんでした。

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